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市杵島神社(コグリ石)

市杵島神社(イチキシマジンジャ)

主祭神 市杵島姫命(イチキシマヒメ)

配 祀 多紀理姫命(タギリヒメ) 
        多岐津姫命(タギツヒメ)

三女神は天照大神と素戔嗚尊の「天の安河の誓約」 に
天照大神が素戔嗚尊の佩く十拳剣を食して生れ出た。
宗像大社三宮にそれぞれ坐すいわゆる宗像三神である。

市杵島姫命は絶世の美女とされ、
商売繁盛、芸能、金運、勝負、豊漁、交通安全、五穀豊穣、
海の神として信仰されている。

市杵島姫命は後の時代の神仏習合においては弁財天に比定
され、同神とされた。

 

境内・歴史

創立時期やその由緒はあきらかでない。
かつて正面であった石鳥居に、
「奉寄進 鳥居 享保八癸卯歳(一七二三)
八月二十二日」
と銘があるものが最も古い。

本殿は素木の流造り銅板屋根で、棟に千木鰹木を
のせ、左の一間に主神の市杵島姫命を、右の一間
に多紀理姫命と多岐津姫命の木像の神像を安置する。

割拝殿は三間に二間の切妻造り桟瓦葺で、昭和三年
(一九二八)十月十八日の上棟。
多数の絵馬中
「嘉永己酉(一八四九)八月改之 当村氏子 奉献」
とあるのが古い。

太神宮石灯篭に
「御神灯 当村氏子 明和七庚寅年(一七七〇)八月吉日」
との銘がある。

向う隅の木柵内には庚申塚がおかれている。

「コグリ石」の謎解き

■説その一 (京都教育大 名誉教授 和田萃 氏)
 聖徳太子により斑鳩宮と豊浦宮(明日香村)を結ぶ筋違道(太子道)が敷設された。現存する筋違道の南端(田原本町保津)を東南方向に延長すると、市杵島神社社務所付近に達し、最終的には明日香村豊浦に至っている。筋違道の敷設に際して、コグリ石に高い大柱を立て、方位を見通すための指標としたのではないだろうか

■説その二 (県立橿原考古学研究所 奥田尚 氏)
 市杵島神社は藤原宮の北西1.5Kmの地点に位置する。藤原宮の発掘調査では、重要な国家儀式で使われる旗「幢幡(ドウハン)」を据えた柱穴七基が確認された。竜山石は6~7世紀、大王墓級の古墳の石棺等につかわれた高級石材だった。コグリ石の円形孔も幢幡の支柱を立てるのに、形や大きさがふさわしく、幢幡を立てた基礎石と判断。藤原宮が廃絶後、耕作などの邪魔になった基礎石を掘り出し、市杵島神社境内に移したのではないかと推測する。

■説その三 (奈良大学 教授 相原嘉之 氏)
 「狂心渠(タブレゴコロノミゾ)」は、斉明天皇が酒船石遺跡の石材(天理砂岩)を運ぶために造らせた大規模な運河である。採石地である豊田山(天理市石上町付近)から布留川北々流を下って大和川に合流。そこから大和川・寺川・米川・中の川を遡り、酒船石遺跡周辺まで掘削する。米川沿いにある市杵島神社のコグリ石は、水門の役割を果たしていたのではないか。下部底面に貫かれている方形孔が水路であり、上部中央から穿たれている円形孔に丸太を挿入して井堰とし、運河の水量を調整したのではないか。